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第3章 過去の傷跡 2/4

last update Last Updated: 2025-05-05 11:00:30

「適当に座ってて。麦茶入れてくるから」

 早退した二人は一旦、柚希〈ゆずき〉の家に入った。

 早苗〈さなえ〉の家には連絡がいってるだろうし、心配していると思った。しかし、早苗をこの状態で帰す訳にはいかない。

 少しでも元気な顔に戻ってから帰ってほしい、そう思っての柚希の配慮だった。

 帰り道、早苗は柚希と一言も言葉を交わさなかった。

 柚希は何度か会話を試みようとしたが、早苗の雰囲気に言葉を飲み込んでいた。

「うん、ありがと……」

 眼鏡を外した早苗が、そうつぶやいた。

 * * *

 早苗が柚希の部屋に入るのは、これで二度目だった。

 家には何度も入っているが、いつも一階の居間で用事を済ませていた。

 こうして入るのは引越しの手伝いの時以来。そういう意味では初めてとも言えた。

 柚希が部屋から出て行くと、早苗は鞄を置いてベッドに腰掛け、部屋を見回した。

 そう言えば私、男子の部屋に入るのは初めてなんだよね。そう思うと、変に緊張した。

「……」

 殺風景な部屋だった。

 男子の部屋って、こんな感じなのかな。それとも柚希が変わってるのだろうか。

 そう言えば、テレビでよく見る男子の部屋は、大抵趣味が形になったような感じだったな。そう思った。

 柚希の部屋は、今彼女が腰掛けているベッドの他に勉強机、ステレオと本棚がひとつあるだけ。

 早苗の部屋の様に、ポスターが貼られていることもない。

 無機質という言葉が一番しっくりくる、そんな感じの部屋だった。

「そっか、柚希の趣味ってば写真だよね。確かそれって、隣の部屋に作った暗室でやってるんだっけ。

 でもそれにしても、生活感のない部屋だな」

 その時、机の上の小さな箱が目に入った。

 箱の中には、父が仲のいい友人とたまにしている、花札のようなサイズの何かがぎっしりと並べられていた。

 手前のひとつを手に取ると、それは写

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    「紅音〈あかね〉。今朝は随分楽しそうだね」 朝食を食べながら、桐島医院院長、桐島明雄〈きりしま・あきお〉が笑顔を向ける。「はい、お父様。今朝はとても気分がよくて」「何か、いいことでもあったのかな」「はい、実は……」 紅音は紅茶をひと口飲み、少し緊張気味に続けた。「お友達が出来ました」「友達……」「はい。昨日コウと散歩している時、知り合った方なんです。何でもその方、つい最近こちらに越してきたばかりらしくて。 色々お話させてもらっている内に、友達になりませんか、そうおっしゃってくれたんです」「そうか、友達が……よかったじゃないか」「は……はい!」 父の反応に、紅音が安堵の表情を浮かべた。「お嬢様、よほど嬉しかったみたいです。それにその方のこと、かなりお気に召されたご様子で」 明雄のカップにコーヒーを注ぎながら、桐島家で給仕をしている山代晴美〈やましろ・はるみ〉が微笑む。「お嬢様のスケッチブックに、その方のデッサンがありました」「え……え? 晴美さん、見たんですか?」 動揺する紅音に、晴美が満足そうな笑みを浮かべる。「はい。お嬢様のベッドを整えている時に」「え? え? 嘘、嘘」 紅音が顔を真っ赤にしてうつむく。 その反応、仕草を待っていたかのように、晴美は紅音の傍まで小走りに行くと、そのまま後ろから抱きしめた。「きゃっ! は、晴美さん?」「むふふふっ。これで今日も一日、しっかりお嬢様にご奉仕することが出来ます。あ、でもお嬢様、誤解なさらないでくださいませ。私、お嬢様の部屋を物色してた訳ではございませんので。ベッドを整えに入った時に『たまたま』スケッチブックが開かれてあったものですから」「はっはっは。それで晴美くん、紅音の友達というの

  • 銀の少女   第1章 邂逅 5/5

     湯船につかりながら、柚希〈ゆずき〉は紅音〈あかね〉のことを考えていた。 ここに越してから、柚希は基本、食事と風呂を小倉家で済ませている。  初めの頃は、自分の家があり生活があるからと拒んでいたのだが、早苗〈さなえ〉の勢いに流される回数が徐々に増えていき、いつの間にかこれが日常になっていた。「綺麗な人、だったな……紅音さん……」 小さく笑う紅音を思い出すと、自然と口元が緩んだ。 * * * 柚希はこれまで、身近な女性を意識したことがなかった。  清楚で無垢、そして自分を包み込んでくれる存在。それが柚希の求める女性像だった。  それは幼い頃に事故で亡くした、大好きだった母親への想いに重ねられているとも言えた。  どこにいても浮いた存在で、常にいじめの対象だった彼に興味を持つ女性もいなかったが、彼自身、劣等感を持つこともなかった。  彼の理想の女性像を、同世代に求めることが出来ないと分かっていたからだ。 しかし紅音は、その理想を求めるに足る初めての女性だった。  勿論彼女のことを、まだ何も知らない。  しかし彼女の姿を思い描き、仕草を思い返すと、彼の胸は高鳴った。 湯船から出た柚希は、椅子に座り体を洗い出した。  毎日のように受ける暴力で、体のあちこちは傷ついていた。  いつもは痛くならないように、慎重に慎重に洗っていた。  しかし今日、本当に久しぶりに。痛みを気にせず洗うことが出来た。  それが嬉しかった。  その時、突然ドアが開いた。「柚希―、湯加減どう?」 短パンにティーシャツ姿の早苗だった。「うわっ!」 柚希は反射的に湯船に飛び込んだ。「早苗ちゃん、いつも言ってるだろ。いきなりドアを開けないでって」「あははははっ、別にいいじゃない。私にとっては柚希も昇〈のぼる〉も、可愛い可愛い弟なんだからさ。これぐらいで騒がないの」「い

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